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東京高等裁判所 昭和39年(う)2137号 判決

控訴人 原審検察官

被告人 川南豊作 外五名

弁護人 福間豊吉 外一〇名

検察官 鈴木久学

主文

本件各控訴を棄却する。

当審における訴訟費用中、証人桜井徳太郎に支給した分は、被告人川南、同篠田、同小池、同安木の連帯負担、証人古賀良洋、同老野生義明に支給した分は、被告人川南、同篠田の各連帯負担、証人粟野豊に支給した分は、被告人安木の負担とし、証人杉田一次、同安倍邦夫、同滝川弥逸、同川原広義、同武部亮斉、同松崎頓成、同長広江戸生に支給した分は、被告人川南の負担とする。

理由

検察官の控訴趣意第一点の一、二について。

所論は、被告人川南らの本件企画及びその準備行為は、その謀議の経過、同志糾合工作、武器装備の調達工作、動員準備、自衛隊工作等の人的、物的諸般の進捗状況からみても、すでにその計画の実行を可能又は容易ならしめる程度に達していたものというべきであつて、被告人川南らの所為は、破防法第三九条の殺人の予備、同法第四〇条の騒擾の予備に該当するものであるのに拘わらず、原判決は「予備」の解釈を誤つてあまりにもその成立範囲を狭く解したため、本件諸般の準備がすべて本件犯行の準備行為そのものであり、とりもなおさず「罪となるべき事実そのもの」であるのに、その一部につきこれを下準備であるとか、罪となるべき事実に関連する行動として認定しているのみならず、被告人川南が元陸軍少将桜井徳太郎をして行なわせた自衛隊工作、ならびに、三無塾々生らが陸上自衛隊柏射撃訓練場で行なつた射撃訓練の事実を全く認定していないのである。原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな法令の解釈適用の誤りとともに事実誤認の違法がある、と主張する。

おもうに、本件は、いうまでもなく破防法第三九条、第四〇条の殺人および騒擾の各予備を訴因として起訴された、相当長期間にわたり、かつ、多数被告人らの関与する複雑な事実関係を要素とし、かつその当時における微妙な社会情勢を背景とする特異な条件であつて、すでに前にも若干ふれたように、物の考え方や性格、経歴や生活態度にかなりの差のある被告人らが、三無主義政策を首唱し、共産革命の到来必至の見通しの下にその事前にいち早く決起して、実力行動による国家革新の断行を考えていた川南、あるいは川南とほぼ同様の考え方でこれと表裏一体の動きを示していた篠田を中心にして、直接、間接に川南の思想や抱負にふれ、その一部の者らは、理解の程度の差こそあれ、いずれもこれに同調し、多数の武装勢力をもつて開会中の国会を急襲してこれを占拠することを当面の目標とし、そのための騒擾ないしその過程における人身の殺傷もやむを得ないとしてこれを認容のうえ、逐次その目的に向つて諸般の行動をとりつつあつたのであるが、騒擾の成立過程ないし形態について原判決の行なつた分析方法をとるとすると、本件は、その第一の範疇すなわち、共通の目的の下にある程度組織化された集団を前もつて形成しておくことを予定し、これを前提として諸般の動員準備等がかさねられていた事案である。

そこで、いま、証拠上認められる本件諸般の準備状況をつぶさに検討してみると、本件動員の中核隊として考えられていた川南工業の従業員、三無塾々生の大多数は、かつて川南との雇用関係にもとづく経済的従属関係にあつたか、あるいは、川南、篠田から若干の経済的援助をうけていたかの関係しかなく、川南工業従業員に対しては、川南、篠田から時津、布沢あるいは白石、浜崎らを介して一方的、部分的な人選がなされていたにすぎないし、三無塾々生らの大多数についても、川南、篠田らの思惑はともかくとして、未だ相互的に命令一下危地に赴くような心理的連繋関係ができていたものとは思われず、とくに、三無塾々生の幹部として指導的立場にあつた川下佳節、老野生義明らが、昭和三六年一一月頃から、三無塾に対する資金援助が円滑を欠き始めるとともに、漸次、川南、篠田らの言動に対して不信の念を抱くに至り、同人らの企図に同調する気持を弱めつつあつたことを看過すことができない。他方、また、篠田が画策奔走していた宗教団体「聖法団」、あるいは「隊友会」への動員工作も、いわば立ち消えに終つており、旧陸士関係者ないし自衛隊関係者らへの働きかけも、桜井徳太郎までをわずらわし、かつ、被告人らにおいてもそれぞれの立場で努力したにも拘わらず、結局は、同調の期待もむなしく、単なる打診、それも、むしろ、悲観的な見とおしを伴うような打診の程度をこえなかつた模様であり、さらに、映画撮影のエキストラ名義で集めたアルバイト学生らも、集合前にすでに第一次の決行予定日が延期されていたため、ただちに解散し、なお、その他の同志糾合工作も何ひとつとして成功するには至らなかつたようである。また他方、武器、装備の調達関係についてみると、三無塾にあつたライフル銃二挺や、塾生吉田明雄が東洋大学に射撃部を創るため、練習用に購入したという空気銃一挺、川南が入手した国防色作業服一〇〇着、作業帽一〇〇個、ヘルメット二八八個、防毒マスク一〇〇個、移動無線車一台および三無塾にあるジープ、トラック各一台は、いずれも本件計画実現のため客観的には、一応、利用可能な状態にあつたものと認められるが、三無塾のライフル銃二挺は、いずれも、本件陰謀が未だ法的には成立したものと認められない時期である昭和三六年八月頃篠田独自の思惑で、なんの事情も知らない川下、老野生らに保管又は購入させておいたもので、その後の本件各会合においても、この二挺のライフル銃や空気銃ないし三無塾のジープ、トラックの件については、未だ編制および装備についての具体的話題にさえのぼつていない模様であり(ちなみに、右ライフル銃に用いる実弾も、同年一二月初頃篠田の独断で行なつた達磨山における三無塾生の合宿訓練の際、その事前に購入した数十発をほとんど使い尽した後は、どこからも現実に入手するに至つていない。)その他の作業衣、ヘルメット、防毒マスク等のほか、さらに、ユースホステル宿泊予約の件なども、前述のように同志糾合工作やその他の動員工作が行きつまつているため「多衆」獲得の成算が立たない状況のもとにおいては、国会周辺一帯を騒乱状態におとし入れるための態勢としては、未だ必ずしもその目的達成のため実質的に重要な準備がなされたものとはいいがたく、その他の武器、装備等の調達についても、現実に入手できていたものはひとつもなく、すべて入手依頼又はそのための調査の段階にとどまつていたのであり、被告人川南の乗用車に取り付けられた無線機も当初一週間ぐらいは調子が良好であつたが昭和三六年一〇月下旬以降はその機能を十分に発揮できない状態のまま放置されていたようであり、また、同年七月頃落合が小池に命ぜられて行なつた国会付近の見取図の作成や国会の電源等の調査、ならびに同年九月中旬頃から一〇月末にかけて川南、篠田、小池、安木らが行なつた国会周辺の視察などが、いずれも、本件の計画に資するためのものであつたことは否定できないが、それらが本件の計画策定についていかに現実的に活用されたものであるかは必ずしも明らかではなく、要するに、以上を通覧すれば、本件において、準備のための工作、奔走そのものは相当行なわれていたとしても、未だ実質的にはほとんどみるべき効果を挙げてはいなかつたといつてもよい状況であつた。ところで、原判決が、「破防法第三九条、第四〇条にいう予備の概念は、刑法上の概念を基礎に規定されたものと解されるが、刑法上の予備の概念についての判例の見解が明確を欠き、学説もわかれている現状においては、破防法成立の経緯や同法第二条の趣旨等にかんがみ、同法にいう予備については、その範囲をできるかぎり厳格に解すべきである。」との立場に立ち、「予備行為自体に、その達成しようとする目的との関連において相当の危険性が認められる場合、すなわち、各犯罪類型に応じ、その実現に重要な意義を持つか、又は、直接に役に立つと認められる準備が整えられたとき、すなわち、実行に着手しようと思えばいつでもそれを利用して実行に着手しうる程度の準備が整えられたときに、予備罪が成立する、と解するのが相当である。」との見解のもとに、本件諸般のうごきを未だ陰謀の段階にとどまるものと判断したことは、その判文自体により明らかである。

所論は、予備行為がその実現せんとする目的との関連において、目的実現のために役立ちうること、つまり、有益性さえ備わつておれば予備罪が成立するものと解すべきであるとして、昭和三六年一一月二七日名古屋高等裁判所が言い渡した判決(高刑集一四巻九号六三五頁以下)を援用するけれども、同判決は、理論上、予備罪にも幇助がありうるとしても、本来、予備罪における予備行為は、基本的構成要件と異なり、きわめて無定型であり、また無限定であつて、これの幇助ともなれば、その無定型性は一層甚だしいものとならざるを得ないから、たとえば内乱予備の幇助のごとく、とくに明文の処罰規定のないかぎり、予備の幇助は処罰すべきではないことを判示するとともに(原審が、無罪を言渡した前田、浦上、とくに前田について、敢て陰謀幇助罪の成否をうんぬんしなかつたのは、この判例と同趣旨の見解をとつた結果であると思われるが、この点は、当裁判所も全く同意見である。)、正犯と従犯との区別基準を示したものであつて、とくに予備罪の成立要件について判示したものではなく、その理由中の傍論においても所論の見解の裏づけとみられるようなものはなんら示されてはおらず、しかも、右判決の事案は、殺人の目的を有する者から毒物の入手を依頼され、その使途を認識しながら青酸ソーダを入手して依頼した者に手渡した、という同じ殺人といつても本件とは全く異質な事犯なのであつて、その所為の危険性、直接性に徴しても、予備罪の成立することが明白な案件なのである。

おもうに、「予備」は、一般には、犯罪の実現を目的とする行為でその実行に着手する以前の準備段階にあるもの、と解されており、犯罪の具体的決意もしくは犯人二人以上の場合における犯罪の具体的合意の程度をこえ、実行着手に至るまでの間における実践的準備行為をいうものであることは異論を見ないところである。そして、予備行為のかかる性格上、その態様は千差万別であつて、きわめて無定型、無限定であることもその特徴の一つであろう。ただ、ここで注意しなければならないと思われるのは、元来、犯罪の企画段階である予備又は陰謀というものは、犯罪の完成からは比較的遠いところにあり、犯罪の類型や規摸によつては、その完成までの途中において、種々の迂余曲折により犯罪意思がしばしば動揺を示して不安定であることが多く、したがつて一般には刑法上も不可罰として扱われ、保護法益がとくに重大であるかあるいは予備行為等それ自体の危険性が極めて大きい場合にのみ、その可罰性が認められている、ということである。そして、ここに保護法益がとくに重大であるといい、また、予備行為等それ自体がとくに危険であるといつても、それは、要するに当該犯罪類型の重い可罰性とその犯罪類型との関連においてその予備行為等それ自体のもつ客観的危険性(つまり、実行の着手可能という観点からみて、客観的に重要と思われる程度の実質的な準備がされたこと。)に着目すればこそ、その可罰性が認められる、という意味を表現していることにほかならない。とすれば、犯罪実現のためにするすべての準備行為のことごとくが予備罪としての可罰性をもつわけではなく(もとより、予備罪等を処罰する規定のある犯罪類型についていうことであるが)そこにおのずからなる一定の限界があると考えるのが妥当であろう。原判決が、実行に着手しようと思えばいつでもそれを利用して実行に着手しうる程度の準備が整えられることを要するというのも、結局は、騒擾罪という特異な犯罪類型を念頭におきつつ、右と同一の趣旨を判示しているものとも解せられるが、それはともかくとして、すくなくとも、実行行為着手前の行為が予備罪として処罰されるためには、当該基本的構成要件に属する犯罪類型の種類、規模等に照らし、当該構成要件実現(実行の着手もふくめて)のための客観的な危険性という観点からみて、実質的に重要な意義を持ち、客観的に相当の危険性の認められる程度の準備が整えられた場合たることを要する、と解するのが、前述のような予備行為の態様の無定型と無限定という特徴を把握する一方、罪刑法定主義の要請をも顧慮する目的論的解釈の立場からみて、もつとも当を得たものと思われる。

所論は、なお、原判決は、いわゆる「明白にして、かつ、現在の危険」の原則を採用したため、それが「予備」の観念を不当に狭く解釈するひとつの原因となつたもののようにいうけれども、いうまでもなく、右原則は、言論等表現の自由の保障の枠内にあるものと、右の枠を逸脱し、いわゆる「公共の福祉」に反すると目されるに至るものとの限界基準、つまり、「公共の福祉に反する」ということをより具体的に、実質的に宣明した基準なのであつて、原判決が右の原則を採用したのも、被告人らの本件言動が、もはや言論等表現の自由に関する憲法上の保障の枠を逸脱したものと判断するについて、その基準をここに求めた趣旨であつて、「陰謀」と「予備」との区別についてまで右原則に依拠したわけでないことは、原判文上、疑いの余地はない。

ところで、本件は、先にも述べたとおり、被告人らが、現に行なわれていると考えた政治上の施策に反対し、みずから正しいと考えた新たな政治上の施策を推進する目的のもとに、実力による非常手段をもつてする国家革新を企図し、相当の長期間にわたつて、人的、物的両面にわたる具体的方策の検討をくり返えし、一進一退のうちに迂余曲折を経ながらも、逐次、犯行の実現を目指して進んでいつたかなり微妙で複雑な要素をはらむ事案であるが、その全過程をつぶさにみると、当初の計画内容そのものが会合の回をかさねる過程のうちにおいていわゆる実行部隊の編制内容や、集合場所、さらには国会議事堂への突入をめぐる兵力配備等について一再ならぬ修正変更を余儀なくされ、本件の検挙直前においても、なお、計画実行に必要な人的集団の現実的把握ないし支配についての確たる見通しもついていないばかりか、犯行の企図実現のための具体的方策そのものが全体的には未だ確定の域に至つておらずそれにまつわる諸般の物的準備も本件計画発足以後検挙直前に至るまでの間において、なお、実質的に重要な進捗状況を示しているものとはみられなかつたのである。

おもうに、本件のような、幅広い周到綿密な人的および物的用意を必要とすると思われる相当規模の大きい犯行の計画においては、たとえば、単なる殺人とか放火とかいうような構成要件の比較的単純な犯行におけるばあいとは異なり、二人以上の者の間に一応の通謀がなされると、ただちにそれで陰謀の段階が終了し、爾後何らかの物的あるいは人的な準備行為がなされれば、すべて、それが予備の範疇に入るというような簡明な進展形態を示さないのが通常であつて(もつとも、単純な殺人のばあいにも、殺害用の毒物を購入すれば、殺人予備罪が成立することは明らかであるが、毒物に混用する砂糖だけをまず、用意したからといつて、それだけでただちに殺人の予備行為があつたとみることは困難であるというような微妙なニュアンスの差異があることはいうまでもない。)、ある程度の工作を進めては計画を練り、また、情勢の推移によつてはそれに応じた新たな方策を考え、これに関連する一応の手筈を進め、さらにこれについて再び検討を加えるため、会合協議するというように、謀議それ自体が相当長期にわたり、その間これに見合うある程度のいわゆる下準備的な動きと相交錯しながら迂余曲折を経て断続的に進められて行くのが自然でもあり、また、常態でもあろうと考えられる。したがつて、このようなばあいに、事態の経過が、すでに陰謀の段階を脱して予備の域にまで達したものであるかどうかは、個々の動きを見逃すことなく、適確にこれを把握すべきはもち論であるが、なおそれに止まらずして、計画そのものの熟否の程度ないしはこれに見合う人的、物的の準備工作の実質的進捗状況を全体的、客観的立場から観察し、それらが、近く、所期の目的の達成を目指す実行着手の域にまで至りうる程度に危険性が具体化しているかどうかを基準として、これを判定するのが相当であろう。

本件における具体的な準備工作の状況は、すでに見たとおりであつて、本件計画の発足後において一部の装備が用意された事実はあるけれども、「多衆」の現実的な把握ないし支配もなければまた、その見込みも不明であるばかりでなく、加えて計画そのものが、総じてなお、流動的な様相を呈している状況のもとにおいては、本件被告人ら一部の少数者が、中心となり、わずか二挺の銃器を携え、同志抱込みに失敗した自衛隊その他治安当局の組織的鎮圧態勢を予想しながら、開会中の国会急襲の実行に踏み切れるものとは到底考えられず(それだからこそ、川南らは、他に相当数の銃器の入手方を求めていたのである。)、多衆の現実的把握ないし、その相互間における「多衆の威力の利用」の認識を必要とする騒擾、ならびにその過程における殺人という犯罪の実現(しかも、本件においては、一定の目的達成のための武装集団の決起という大がかりな組織的方法によつて、これを実現しようとするのである。)からは、なお、あまりにもほど遠いものがあり、そのいわゆる「決行予定日」なるものも、関係者らの緊迫した主観的心情そのものはともかく、客観的には一種の努力目標とみられないこともない(現に、この時期は、当初、昭和三六年一〇月末と予定されていたが、その後、同年一二月上旬、さらに翌年一月中旬と、回をかさねて比較的簡単に変更されている。)。なるほど、三無塾にはライフル銃二挺が保管されていた。そして、ライフル銃の威力を、それがわずか二挺の少数であるからといつて、いたずらに軽視することは許されない。しかし、これらの銃は、前にも述べたように、本件陰謀発足前に、なんの事情も知らない川下、老野生が篠田から預かり、あるいはその指示によつて購入しておいた、いわば既存のものであり、しかも、その後行われた各謀議の席においても、これらの銃のことが話題にのぼつた形跡もないし、また、とくに、本件犯行の実現にそなえて、篠田らがこれを他に移転し、あるいはことさらに保管の方法を変えて秘匿しようとした事蹟も見当らない。とすると、これら銃器の存在も、他のヘルメット、防毒面、作業衣、トラツク等の準備、あるいはホステルの予約等と同様、「多衆」の現実的把握ないし支配の態勢が相当程度ととのつているばあいには、これと合して騒擾の予備を構成することになるであろうが、それを欠くばあい、それだけでは、未だその予備にあたらないものと解するのを相当とする、(騒擾罪について、「多衆」の現実的把握ないし支配の態勢が本質的な重要性をもつていることは、刑法が、いわゆる多衆不解散の規定を設けて、騒擾罪の可罰的予備形態を定型化していることも、一応の参考に値する。)。そして、このことは、単に騒擾についてのみならず、事実上これと密接不可分の関係にある本件殺人についても、また、同様に解すべきであると考える。要するに、本件は、陰謀と予備との限界に関する困難な問題を包蔵する事案であり、したがつて、検察官所論の趣旨も、それ自体として、十分これを理解することができるし、また、これを是認する理論的見解も立ちうると思うが、本件陰謀形態とそれをめぐる諸般の工作との微妙なからみ合いという特異な様相に着目して、事案の全貌を客観的、全体的立場において観察すると、予備の観念をとくに破防法についてのみ厳格に解すべきものとする見解の当否はともかく、少なくとも本件のばあいにおける被告人川南、同篠田、同小池らの行為がすでに予備の段階に入つたものと断ずるについては、被告人川南らの企図を諒解してこれに賛同し、同一のグループに属する者として、ある程度の行動をしているものと認められる他の数名の者らに対してはすでに陰謀罪としての有罪判決が言い渡され、その裁判が確定しているという点は、しばらくこれを措くとしても、なお、そこに疑問を入れる余地なしとしないのである。

してみると、原判決が、被告人川南らの間に行なわれていた本件陰謀形態およびその具体的な進展状況の特殊な様相に着目し、本件はその諸般の準備工作とみられるものをふくめ、事案の全体的考察の観点から、未だ予備の段階に達しないと判断したことにつき、それが、法令の解釈、適用を誤つたものと断定することはできない。また、所論指摘の各事実を、予備罪における予備行為として認定せず、下準備もしくは罪となるべき事実に関連する動きとして判示したのも、各行為者らの主観的意図はともかくとして、破防法第三九条、第四〇条の殺人および騒擾の予備罪における予備行為として評価するについては、少なくとも騒擾罪の実現に「重要な意義をもつ」あるいは「直接役立つ」と認められる程度の客観的な危険性が看取されることを要するという解釈上の基準によるものと察せられ、この見解それ自体は、相当と思われるから、所論右判示が事実の誤認を招いたものとは解せられない。もつとも、原判決は、所論指摘のように、桜井徳太郎による自衛隊幹部らに対する打診工作や、昭和三六年九月一九日頃に行なわれた三無塾々生らの陸上自衛隊柏射撃訓練場における、狭搾弾使用による射撃訓練の事実についての判示を欠いているけれども、原判決の関係証拠の挙示そのものからみても、原判決が右各事実を全く考慮のそとに逸しているものとは考えられないし、いわんや、ことさらにこれを判示からはずしたものとみるべきふしは記録上見当らない。そして、この二個の事実について考えてみても、桜井徳太郎の老躯をひつさげての自衛隊幹部らに対する打診工作も、結局、不得要領に終り、当の桜井本人も、本件計画をそのまま実行に移すことの到底不可能なることを見抜いて、その後まもなく、川南に挨拶もしないで単身離京していること、また、柏射撃場における射撃訓練も、もとよりそれ自体として、決して軽視することはできないが、その時期も本件陰謀計画発足後まだ間もないことであり、その参加者らの顔ぶれや人数等からいつても、また、その訓練の状況からみても、いわゆる実戦に直接備えるというような組織的かつ大規模なものではなくて、むしろ、篠田らが三無塾々生らの士気を昂揚し、将来のための下地をつくつておくことを主たる狙いとして行なつたものとも受けとれないことはないこと等を考えると、これらの事実があるからといつて、本件における関係被告人らの言動を予備と見るか、陰謀と解するかの判断に決定的な影響を及ぼすものとも思われない(なお、本件において昭和三六年一二月初旬頃、三無塾々生らが行なつた達磨山における合宿訓練も、その行なわれた時点や、現実にライフル銃による実弾発射訓練がなされている点からみて、決して軽視できないものがあるけれども、これは、全く篠田の独断専行によるものであり、現にその件については一二月四日の十二社温泉会館の会合で、川南と篠田の間に激論が交されているくらいであるが、右合宿訓練が同時に、実質的に、三無塾々生の慰安をも兼ねていたことは否定できないようであつて、前述のように、本件における「多衆」の現実的な把握ないし支配がなされたものとは認められないことをも合せて考えると、この三無塾々生の合宿訓練の事実も、本件における関係被告人らの言動を予備と見るか、陰謀と解するかの判断にそれほど実質的な影響を及ぼすものとは思われない)から、論旨は理由がない。

(その余の判決理由は省略する。)

(裁判長判事 樋口勝 判事 関重夫 判事 金末和雄)

原審検察官の控訴趣意

第一点の二

原判決には「予備」の解釈を誤り、川南らの所為が破防法第三九条所定の殺人の予備、同法第四〇条所定の騒擾の予備にあたるのにかかわらず、右所為は各法条所定の「陰謀」にあたるとした法令適用の誤りがあり、右誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかである。

原判決が川南らの所為を「予備」にあたらないとした理由の要旨は、予備罪の成立につき「各犯罪類型に応じ、その実現に『重要な意義をもつ』あるいは『直接に役立つ』と客観的にも認められる物的その他の準備が整えられたとき、すなわち、その犯罪の実行に着手しようと思えば、いつでもそれを利用して実行に着手しうる程度の準備が整えられたときに、予備罪が成立すると解するのが相当である」(判決書一〇八頁、一〇九頁)との立場にたち、破防法第三九条、第四〇条の「予備」を考えるについて「破防法成立の過程、同法第二条の趣旨等にかんがみ、同法にいう『予備』については、その範囲をできるだけ厳格に解すべきである。したがつて、同法の適用にあたつては、特に、予備罪についての前記の判断基準を堅持し、具体的事案に則し、真に妥当な結論を導くように配慮する必要があると思われる」(判決書一〇九頁、一一〇頁)とし、騒擾罪について「重要な意義をもつ」あるいは「直接役立つ」客観的準備につき、「騒擾罪においては、まず集団のもつ力が決定的要素をなすことに注目する必要がある。……騒擾の成立過程ないし形態は、およそ次の二つの類型に大別される。第一は、最初から相当組織化された集団があり、この集団による暴行、脅迫を計画して騒擾に至る場合……第二は、集団形成の際には、暴行、脅迫の意図はなかつたが多数人が、ある時期に、ある場所に集合し、身体的に互いにふれあうような情況になることによつて、その間に特有な心理状態が生れ、これに何らかの外部的刺戟が加わることによつて共通の意識感情が醸成され、共通の目標に向かつて暴行、脅迫に及ぶ場合である。……第一の類型の場合には、騒擾罪の成立に必要な多衆の者(人数に制限はないが、一地方における公共の静ひつを害するに足りる暴行又は脅迫をするのに適当な多人数であることを要する。)の間に、あるいは集団の指揮者(特に旧軍隊におけるような絶対的権威をもつ指揮者)の間に、集団行動の目的、方法、時期、場所等について具体的な合意が成立するだけで騒擾の予備罪が成立することもないとはいえないが、第二の類型の場合に騒擾の予備罪が成立するためには、騒擾を企図し、あるいはこれを認容する少数者の間で、集団形成の計画を立てたり、武器、装備を用意したり、構成員のための宿泊所を予約したり、説得者、扇動者を定めたりするだけでは十分でなく、集団そのものの形成のための一層直接的、具体的な行為、たとえば、集団の構成員となるべき多数の者を目的の場所に輸送する等、必要に応じてこれらの者を速かにある目的に向つて動かしうる現実的事態を招来する必要がある。」(判決書一一二頁~一一四頁)となし、川南らの所為につき「本件が第二の類型に近いものであることは明らかである。なぜなら本件動員の中核隊に予定されていた川南工業の従業員、三無塾生の大多数は、かつて川南に対し経済的従属関係にあつたか、あるいは当時川南、篠田から若干の経済的恩恵を受けつつあつたか、いずれかの関係しかもたず、川南、篠田の命令一下危険な行動に赴くような関係になく又右の者らの間に前記のような具体的合意が成立していたとも認められないからである。ところが、犯行予定地からはるか遠隔の地にある川南工業の従業員に対しては、川南、篠田から、時津、布沢を通じて一方的、部分的人選がされた程度であり、未だこれらの者を、必要に応じ速かに目的の場所に動員しうるような態勢はつくられていなかつたのである。(九州の田中、牛島等に対する動員依頼は、川南工業の従業員に対する程度にすら具体化されていなかつた)又野呂による映画エキストラ名目のアルバイト学生の動員は、これらの学生が、昭和三十六年十月二十六日中央大学構内に集められる前に、決行予定日が同年十二月に変更されており、ある目的のために動員されたような関係ではなかつた。更に自衛隊関係者に対する働きかけは、自衛隊の動向、訓練状況等を打診し、あわよくば同調を期待するという程度を出なかつた。その他動員関係で問題になるようなものはない。かりに本件を第二の類型にあたるものとし本件被告人ら少数の者が武器をたずさえ、開会中の国会を急襲するという事態を考えてみても、人数はあまり少なく、利用しうる銃器は二挺にすぎず、国会付近を騒擾状態におとしいれるに足りるような客観的態勢、準備が整えられていたとはいえない。ヘルメット、防毒面、作業衣、トラック等の準備、ホテルの予約等は、騒擾の中心となるべき『多衆』の成否を判断するについて影響がないとはいえないし、『多衆』への現実的把握、支配が完了している場合には、これと合して騒擾の予備を構成することになるであろうが、それだけでは、未だその予備にあたらないと解すべきである。」(判決書一一五頁~一一七頁)として、騒擾罪の予備の成立を否定し、ついで殺人の予備についても「兇器をもつてする殺人の企図については、その兇器を現実に入手し、またはそれと同一視される情況がないかぎり、殺人の予備が成立すると認めることは困難である」(判決書一一七頁)とし、川南らの所為につき「本件において田中、野村、李等に対し、拳銃、ライフル銃等の入手を依頼した行為は、いまだ殺人の予備とは認められない。なお本件においては、判示のとおり、被告人らは、騒擾行為を前提とし、その過程で人の殺害もありうると予想し認容していたと認められるので、騒擾が前記のとおり予備の段階に達していないと認められる情況のもとでは、それと切りはなし、殺人の予備の成立を認めるのは不自然なように思われる。三無塾に保管されていた銃二挺については、理論的に若干問題はあるが、これらの銃は、本件陰謀が、いまだ法的に成立すると認められない時期に、川下、老野生が篠田らの意図も十分知らないで預り、あるいは購入したものであること、その後行なわれた本件各謀議の席でも、右の銃のことが話題にのぼつた形跡がないこと等の情況に、前記騒擾と殺人との関係をあわせ考え、総合的に検討すると、右の銃二挺の保管だけを殺人の予備とするのは、やはり相当でないと思われる。」(判決書一一七頁、一一八頁)として、殺人の予備の成立をも否定し、「要するに、本件は理論的には騒擾および殺人の予備と解する余地もないわけではないが、先に明らかにした理由で、予備についても厳格な立場をとり、騒擾および殺人はいまだ予備の段階に達していないと判断したわけである。」(判決書一一八頁、一一九頁)というのである。

しかし、原判決の右見解は、以下述べるとおり余りにも予備罪の成立する範囲を狭く解したものといわねばならない。

すなわち

1 「予備」とは、犯罪実行の着手前における準備行為であつて、主観的にみれば犯意を実現するための行為であり、客観的にみれば犯罪の実行を可能ないし容易にする行為である。「陰謀」との差異は、陰謀が犯意の交換、合意であつて、通常犯罪の決意の段階にとどまるのに対し「予備」はその段階を通り越した実践的準備行為であるという点にある。すなわち、「予備」は決意を通り越して実行に着手するまでの間における実践的準備行為である。ところで準備行為の態様は千差万別であつて本来無限定、無定型であり、僅かにその主観的違法要素である目的によつて方向づけられているに過ぎないのである。すなわちその行為が目的との関連において、目的実現のために役立ちうること、つまり「有益性」さえ備つておれば「予備」の成立が認められるのである(名古屋高裁昭三六・一一・二七判決参照)。

原判決は予備罪の成立を考察するにあたり「一般に『予備』とは『犯罪の実現を目的とする行為で、その実行に着手する以前の準備的段階にあるものをいう』と解しているが、犯意実現のためのすべての準備的行為が『予備』とされるわけではなく、おのずからそこには一定の限界がある。この点は判例、学説によつても、明示的あるいは黙示的に、ほぼ承認されているところと思われる。」(判決書一〇六頁、一〇七頁)とし、「たとえば、殺人の目的で兇器を購入することはその予備と解されるが、単に金物店等で兇器を物色する程度では、たとえ同様の目的からにせよ、未だ殺人の予備とはいえないであろう。いわんや、単に殺人の際の変装具をあらかじめ用意するだけでは、その予備にならないこと勿論である。」(判決書一〇七頁)と例示するのであるが、右例示の兇器の物色行為や変装具の準備行為が果して原判決のいうように簡単に予備にならないこと勿論であると断定し得るものであろうか。むしろ変装具を用意する物的準備行為はこれを予備とみるのが一般であり、兇器の物色行為についてはこれを予備とみるかどうかについては未だ定説がないのである。原判決が「犯意実現のためのすべての準備的行為が『予備』とされるわけではなく、おのずからそこには一定の限界がある」とすることには異論がないのであるが、さきにも述べたように、予備であるか否かは目的との関連において有益性があり、犯意実現のための実践的準備行為として評価されうるかどうかにかかつていると解せられるのである。

2 さらに原判決は「いやしくも『予備』を処罰の対象とする以上は、罪刑法定主義の建前等からいつても、予備行為自体に、その達成しようとする目的(いわば本来の犯罪の実現)との関連において、相当の危険性が認められる場合でなければならないと考える。詳言すると、各犯罪類型に応じ、その実現に『重要な意義をもつ』あるいは『直接に役立つ』と客観的にも認められる物的その他の準備が整えられたとき、すなわち、その犯罪の実行に着手しようと思えばいつでもそれを利用して実行に着手しうる程度の準備が整えられたときに、予備罪が成立すると解するのが相当である」(判決書一〇八頁、一〇九頁)とし、「重要性」や「直接性」を考え、準備態勢の完了を予備罪成立の解釈基準とするのである。

しかしながら予備については「有益性」をもつて足りること前記1で述べたとおりであり、それを殊更「直接性」等をもつて限定すべき理由はみあたらない。一般には不処罰である予備が、予備罪として可罰性が認められているのは、保護法益が特に重大であるか或は予備としての行為自体の危険性が極めて大きい場合であると考えられる(刑法第七八条内乱の予備、同法第八八条外患の予備、同法第九三条私戦の予備、同法第一一三条放火の予備、同法第一五三条通貨偽造変造の用に供するための器械、原料の準備、同法第二〇一条殺人の予備、同法第二〇八条の二兇器準備集合、同法第二二八条の三身代金誘拐の予備、同法第二三七条強盗の予備、破防法第三九条政治目的のための放火の罪等の予備、同法第四〇条政治目的のための騒擾の罪等の予備、爆発物取締罰則第三条の爆発物等の製造輸入所持等)のであるが、特に重大なる国家、公共の法益の場合においては、予備を処罰するにとどまらず、その前段階である陰謀をも処罰することにしているのである(刑法第七八条の内乱の予備陰謀、同法第八八条外患の予備陰謀、同法第九三条私戦の予備陰謀、破防法第三九条政治目的のための放火の罪等の予備陰謀、同法第四〇条政治目的のための騒擾等の罪の予備陰謀)。したがつて、原判決の予備罪成立の解釈基準としての直接性等は、準備行為自体の危険性のみが問題とされる場合ならば格別、法益の重大性に重心がある予備罪、就中特に重大なる国家、公共の法益を保護すべく陰謀をも処罰することのあるべき場合の予備罪の解釈基準とすることは納得し難いところである。原判決が同旨のものとして引用している「犯罪のために、危険な道具を準備するところに予備行為が成立し、またそれほど具体的にならなければ予備行為は存しない」との学説は、放火、殺人、強盗の予備についてのものであり同学説も内乱予備罪については「また別の考慮がある」としているのである。

3 なお、原判決は破防法第三九条、第四〇条の殺人及び騒擾の陰謀につき、「陰謀実現のための下準備的行為は、明白かつ現在の危険を伴う陰謀にとつて不可欠の要素とはいえないが、実際的には、陰謀がこの段階に達するまでには、何らかの下準備が行なわれているのが通例で、結局多数者による予備との相違は、準備の進行情況の差に帰せられることが多い。」(判決書一二〇頁)と説示しており、準備行為に「直接性」が認められない限り、これらは全て陰謀に伴う下準備的行為で結局陰謀と評価するもののようである。しかし、すでに成立した陰謀に基づき、さらにその犯意実現のための準備行為をなした場合、すなわち陰謀よりさらに発展した実践的準備行為を、直接性が認められない限りそれはなお陰謀にとどまり、何ら予備行為として評価されないということは納得し難いところである。すなわち、本件において既に成立した陰謀に基づき、犯意実現のための実践的準備行為としてなされた同志の獲得工作、武器、装備の入手工作、自衛隊工作犯罪決行場所の下見、動員者のための宿泊場所の予約、戒厳司令官その他指揮者の決定等はいかように考えても陰謀として評価すべきものではない。これらの行為は陰謀のための検討資料の収集、謀議場所の選定、見張等、謀議を成立させるための準備行為-これこそ陰謀に伴う下準備的行為である-とは本質的にその性格を異にするのである。何時でも犯罪の実行に着手しうる程度の準備が整えられない限り、他にいかなる準備がなされても予備でなくて陰謀とみることは全く原判決独自の見解というのほかはない。

4 原判決は破防法第三九条、第四〇条の解釈にあたり、「言論、集会等の自由は、国民の自治の原理にもとづく民主制度の基礎をなすものであるから、言論、集会等の自由の抑圧を正当化するためには、その言論、集会に、それに制限を加えることから生ずる危険を明白かつ疑いをいれない程に凌駕するような社会公共の利益に対する直接かつ、緊急の重大な危険(いわゆる「明白かつ現在の危険」)が存在することが必要である、と解すべきことは、弁護人所論のとおりである。」とし、ついで「しかし、破防法第三十九条及び第四十条は、いずれも、政治的目的をもつて実現しようとする殺人及び騒擾の予備あるいは陰謀を処罰の対象としているもので、政治的目的をもつてする騒擾はもとより、政治的目的をもつてする殺人は、かような目的を伴わない騒擾、殺人と異なり、社会公共の利益に対する重大な侵害であるから、右規定をかような侵害の危険が直接かつ差し迫つて存在する場合だけに関する規定と解する限り前記『明白かつ現在の危険』の原則に反するものということはできない。」(判決書一〇二頁、一〇三頁)と述べ、弁護人の主張する「明白かつ現在の危険」の原則を採用し、さらに進んで破防法第三九条、第四〇条の殺人および騒擾の陰謀について、陰謀とは「明白かつ現在の危険が認められる場合をいう」と解しており(判決書一一九頁以下)、そして予備については、前記のように(判決書一〇八頁)、「重要性」、「直接性」、準備態勢完了が必要であると解しているのであつて、このような予備の解釈は「明白かつ現在の危険」の原則を前提にしているものと認められる。

原判決がこのように破防法第三九条、第四〇条の解釈にあたり、「明白かつ現在の危険」の原則を採り入れたのは「刑法上の予備の概念についての判例の見解が明確を欠き、学説がわかれている現状においては、破防法成立の過程、同法第二条の趣旨等にかんがみ、同法にいう『予備』については、その範囲をできるだけ厳格に解すべきである。」(判決書一〇九頁)との説示から窺われるように、厳格な解釈態度をとつた結果と考えられる。しかし、破防法成立の過程ならびに同法第二条の趣旨等を如何に尊重するとしても、論理上当然の結論を殊更狭義に解釈したり、罰則の規定自体からは到底考えられない厳格な制限を附して解釈することは行き過ぎであるといわざるを得ない。しかも、「明白かつ現在の危険」の原則は日本国憲法第一二条の如き「公共の福祉」による調和規定を有しないアメリカ合衆国憲法のもとにおいて考案されたものであつて、わが憲法第二一条の解釈上は必要でない。わが国においては公共の福祉との調和如何を基準とすれば足りるのであつて最高裁判所も従来「表現の自由といえども国民の無制約な恣意のままに許されるものではなく、公共の福祉によつて調整されなければならない」旨判示している(最高裁昭和三〇・一一・三〇判決等)ところであり、原判決がことさら「明白かつ現在の危険」の原則を採り入れたこと自体、すでに判例に違背するものといわねばならない。なお、いわゆる岐阜破防法違反事件について、名古屋高裁判決(昭和三九・一・一四日)は、わが憲法の保障する表現の自由を規制する基準として「明白かつ現在の危険」の原則を明快に排斥している。

ところで、破防法第三九条及び第四〇条に定める殺人及び騒擾の予備あるいは陰謀は、政治目的を以て殺人及び騒擾の予備または陰謀をなすことであり、それは極めて重大な社会公共の利益を保護法益としているものである。かかる犯罪を犯すべく予備または陰謀をなすことが、憲法上言論、集会等の自由として保障されないことは言うまでもなく、およそ権利とか自由という名に価せず、全く保護の埓外にあるものといわねばならない。これを要するに、原判決が破防法第三九条、第四〇条の解釈に関し言論、集会等の自由を論議する余地が全くないのにかかわらず、「明白かつ現在の危険」の原則を当然の前提としたことは誤りであり、その結果同条所定の予備陰謀の解釈を誤るにいたつたものと言わざるを得ない。

5 ところで、原判決は川南、篠田、小池の犯意につき「昭和三十六年三月頃……被告人ら三名は、一層左翼革命の危機感を深め、これを防止するには情況次第では、そのぼつ発に先だち、過激な実力行動にうつたえてでも、国家の革新をはかり、三無主義政策を実施に移して、救国の目的を達成すべきであると考えるに至つた。」(判決書一六頁、一七頁)とし、さらに「川南と篠田は……ついに昭和三十六年九月上旬頃には、政府の治安物価対策等の破たんから翌昭和三十七年三月頃に共産革命の発生が必至であり、当面は破防法案反対の大規模な国会周辺の大衆行動、年末の賃上げ闘争等による革命態勢への盛り上げが予想されるが、この機会に、炭労の暴走による革命的行動の突発も計り難いとし、これらに対処するには、情勢の推移をみながら、機をみて事前に武装勢力多数で開会中の国会を急襲して附近を騒乱状態におとしいれ、国会議員、閣僚等を監禁し、非常事態宣言を発布させ、強力な治安態勢を確立して、左翼勢力を放逐し、三無主義政策を実施に移して、国政の安定を計るべきである、とする計画の大綱を定め、その間小池も独自の特務工作による国家革新の方策を練るかたわら、川南、篠田両名との話し合いを通じて、右計画の大綱に同調した。」(判決書一九頁乃至二二頁)と認定しているのであつて、右認定によつても、川南、篠田、小池の間に昭和三十六年三月頃、すでに陰謀があり、同年九月上旬頃には確固とした陰謀の成立が認められるのである。

したがつて、昭和三十六年三月頃以降、同年九月上旬頃までの川南、篠田、小池の準備行為、すなわち、原判決も認定している篠田が川南の了解のもとに行なつた新日協の脱退者らによる全国連の組織作りへの資金援助、実力行動の中核隊とするための三無塾の発足、同塾におけるライフル銃二挺の保管、川下、老野生、古賀を同志としたこと、川南、小池の浦上、安木を同志とするための工作、小池が落合を同志とし、同人に命じて国会の電源、電話交換所等の調査をしたこと等の諸準備行為は、当然予備行為に該るものであり、さらに昭和三十六年九月上旬以降の謀議、同志獲得工作、武器、装備の入手工作、自衛隊工作等の準備行為が、予備行為に該るものであることは到底否定すべくもないのである。

また前記のとおり昭和三十六年九月上旬頃には川南、篠田、小池の間に確固たる陰謀の成立が見られるのであるからそれ以後の謀議は、畢竟右陰謀の内容を実践する為の準備行為であり正に予備と見るのが相当である。しかも同月上旬以降は謀議に限らず他の物的、行動的諸準備も進められ、それらの過程においてさらに謀議が繰り返えされているのであつて、犯罪発展の段階からみても明らかに本件は予備の段階に至つていると思料されるのである。

しかも、昭和三十六年十月十二日以降の川南、篠田、小池らの本件計画は、原判決も「きわめて近い将来に実行され、またはされうる緊迫した情況にあつたことは疑いないと思われる」(判決書一二二頁)と説示しているように、実行の着手段階に近接した危険性の極めて高い状態にある予備に至つていたのである。

なお、川南らが、騒擾行為を前提とし、その過程で人の殺害もありうると予想し認容していたこと、殊に川南、小池には一層明確な殺意の存在が窺われること等については原判決認定のとおりである(判決書一六頁、二九頁、三五頁、三六頁、四二頁、四八頁、六七頁、六八頁、一一七頁、一五三頁)。

したがつて、川南、篠田、小池の間に確固とした陰謀の成行がみられる昭和三十六年九月上旬頃以降の謀議、武器、装備の入手工作、動員工作、国会内外の調査、自衛隊工作、三無塾生の射撃訓練等の諸準備行為は、破防法第三九条、第四〇条の政治目的をもつてする殺人、騒擾の予備に該ることが明らかである。

以上述べたとおり、原判決は「予備」の解釈を誤り、川南らの所為を破防法第三九条、第四〇条の殺人、騒擾の陰謀にあたるものとしたのであつて、右は明らかに判決に影響を及ぼす法令適用の誤りといわねばならない。

(その余の控訴趣意は省略する。)

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